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プロフィール
HN:
えぞ
年齢:
46
HP:
性別:
男性
誕生日:
1978/06/23
職業:
SE
趣味:
いろいろ
自己紹介:
頭を使うことを比較的好むが、難しいことは不得手。
博覧強記を目指すが、底は浅い。 凝り性な反面、飽きっぽい。 ゲーム好きで、ギャンブル嫌い。 座右の銘 「なるようになる」 「明日できることは今日しない」
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デビットフィンチャーは悪意の塊だ。
悪意の権化だ。 悪意のデパートだ。 悪意の神様だ。 ここまで徹底した、様々な悪意を描ける人間も珍しい、というか皆無じゃないか? もちろん、ほめ言葉。 『セブン』では鬱屈した男の「静かなる悪意」が描かれ、 『ゲーム』では一人の人間を精神崩壊寸前まで追い込む 「システムとしての悪意」が描かれ、 そしてこの『ファイトクラブ』では「アッパー系悪意」とでもいうべき、 ハイテンションでハイスピードな暴力と破壊が描かれている。 彼らの行動を僕は「悪意」とは書いているものの、 本人たちは悪いことだとは思っていない。 信念を持って、他人への悪意を振るうのだ。 これは恐怖である。 さて、『ファイトクラブ』では先の2作品とは大きく違う点がある。 それは、主人公がフィンチャーの用意した「悪意」から解放されているところだ。 『セブン』ではジョン・ドウのシナリオどおりに彼を殺した。 『ゲーム』では解放のために死を望むが、それすらもゲームの一部であった。 しかし、『ファイトクラブ』のみ、主人公が支配されていた 悪意の象徴「ダーデン」を乗り越えることができたのである。 「これからは全てよくなる」 主人公であるところの「ぼく」はそう言い残す。 そして、ビルは爆破され、ゼロからの再生が暗示される。 ・・・ところまではよかったのだが、そこはフィンチャー。 最後にとっておきの「悪意」をみせつけてくれる。 ほんとにイヤなやつだ。もちろんほめ言葉。 93点。 次は『パニックルーム』観よっと。 PR この記事にコメントする
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