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ゲーム好きで、ギャンブル嫌い。
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 「ロジカルでない流れというものが存在する」という話題が友人のblogに書かれてあった。
 その根拠となるその友人の後輩(まあ、僕の後輩でもあるわけだが)の言葉を引用する。

(引用開始)
「流れってあるでしょ?ビラの効果だけではないんですよ。ビラをがんばって1,000枚まけば、ビラのヒット率が0%でも、ビラを見ていないお客さまが2,3人、ふっと来店するんですよ。
ところが、ビラをまいていない時はそんなお客さまさえ、来ないんですよ。
そこは、ロジカルではなく、事実として「流れ」があるんです。
麻雀にも流れがあるでしょ?同じですよ。」
(引用終了)

 僕はこれをみてちょっと結論を出すのが尚早すぎやしないだろうかと思った。彼は何度の試行でそういった結論を出したのだろうか。
 この例がロジカルでないと言い切るのであれば、徹底的に仮説を立て、試行し、検証してその上でロジックでは説明できないと結論づけられてはじめて使用するべきだと思う。
 そうでない限り、「流れ」などという言葉でお茶を濁してしまうことは、たかだか数回発生した事象が恒常的に適応しうるものだと判断したり、確率的に数%のものを大切にするあまり、より多く起こりうることから目をそらしたりする危険性がある。
 僕が気に入らないのは、言外に「流れ」を信じる⇒一生懸命にやる、「流れ」を信じない⇒一生懸命にやらない、という考え方が見え隠れするように感じるからだ。それは心の持ちようであり、ロジカル、非ロジカルとは何の関係もない。仕事を懸命にこなすために「頑張ってればそのうちいいことがあるさ」と前向きに考えることはいいことだと思う。ただ、そこに甘えがなければ。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるが、人事を尽くさなければ天命を待ってはいけないものだと思う。
 ロジカルに物事を考えるというのは泥臭くて、めんどくさくて、しかも効果は目に見えづらいものである。結論の得られないこともありうる。そういった努力がないがしろにされ、誰かの思いつきやちょっとした経験などで断定的に物事が語られるのはどうかと思う。

 ここでひとつ言っておきたいことがある。僕は「流れ」というものを完全には否定していない。ただ、定義が違うだけだ。
 僕が思う「流れ」というのは、「人為的には知覚、操作のできない事象の偏り」だと思う。たとえば確率の偏りだ。サイコロで10回連続で6が出たとして、そういうのを「流れ」というのであればそうなんだろう。しかし、だからってどうなる? それを前もって知ることができればいいが、そんなことはできない。できるのであれば、僕はそれを「流れ」とは呼ばない。
 たとえば、さっきのサイコロの例であれば、次に何が出る可能性が高いかと問われれば、僕は6と答える。それは「そういう流れだ」とかそんなあいまいな理由ではない。このサイコロが6が出やすいサイコロなのではないかと疑うからだ。
 あるいは、前もって同じサイコロで1000回試行していて1〜6までの分布が平均的なのであれば、僕には次に何が出るか分からない。そこでさらに6が出たとしてもなんら不自然ではない。その一回で6が出る確率は1/6だ。そういうことが「流れ」なのではないだろうか。

 もちろん世の中には「原理は分からないけど効果がある」と思われるものもたくさんある。
たとえば鍼灸治療がそれにあたる。プラシーボ効果も多分に含まれているとは思うが、昔から効果があるとされてきたものなのだから間違いないのだろう。
 そういったものにたいして「原理が分からないのだからやらない」と考えるのは間違った考え方で、「効果があるのだからやる。ただ、原理については今後も追求していく」というのがロジカルな態度であると思う。そして原理が分かってくればより効率的な手段を見つけることも可能になってくる。人類はそうやって進歩してきたのではないだろうか。逆に言うとそうやって行動することこそが、人類に唯一与えられた「真実」を見つけ出す手段なのだと思う。

 もう一度言う。「この世にはロジックでは解決できない問題が存在する」これについては否定しない。しかし、あなたの言うことがそれに当たるかは、それをロジカルに考え抜いた結果であるかどうかによる。それが甘えや逃避ではないかを、僕は疑う。

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