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 前の続き。今度は別の視点から。
 
 後輩の話において「流れがある」ということに対する立脚点は大きく分けて二つ。
 A:ビラの例(ビラをまけばビラのヒット率は0でもビラを見ていないお客様が来る。ビラをまかなければそういう客も来ない)。
 B:麻雀にも流れがある。Aの例はそれと同じである。

 Aについては前回のとおり、検証が足りないんじゃないの? という疑問を呈したことでひとまず置いておこう。ここではBについて考える。多少麻雀用語が含まれるのは容赦願いたい。

 まず「麻雀にも流れがあるでしょ?」というが、麻雀の流れとは一体何なのだろうか。
 ツモ牌の偏りだろうか。あるいは、局単位の好不調だろうか。半荘単位の? 一日単位の?
 そのほかにも「麻雀の流れ」というものが定義されるかもしれないが、思いつかない。そういったところの補足を願いたいところである。

 次に、仮に「麻雀の流れ」の定義が補足されたとして、それについての実在の検証がされているのかという疑問がある。
 ツモ牌の偏りであれば、これは前回のサイコロの例で挙げたとおり、多少の偏りは十分にあり得るし、もしも統計とは明らかに違った偏りを見せる場合はなんらかの原因(洗牌の不備やイカサマなど)を考えるべきだ。
 好不調の波の場合、長期間の平均であれば実力相応の結果が現れる、あるいはそこで現れた結果が実力であると断言できる。もし仮に流れをよくする、つまり好調を維持することができれば成績は上がるだろう。その場合、「好調を維持する」方法が確立されているならばそれは実力以外のなにものでもない。「説明のつかない何か」であるところの流れとは一線を画す。

 そして前二つの疑問が解消されたとして、つまり、「麻雀には○○という流れがある」ということが一般的に言えたとして、それがはたしてビラの例に適応されるのかどうかという問題がある。
 もしもツモ牌の偏りのことであれば、ビラをまいてヒット率0でも客が来ることも十分にありえるし、来ないこともありえるということを示しているに過ぎない。好不調の波についても同様である。

 まとめよう。Bには3つの説明不足な点がある。
 1:彼の言う「麻雀の流れ」というものが明確に定義されていない。
 2:1で定義された上で「麻雀の流れ」というものが実際に存在するのかどうかの検証がされていない。
 3:2で実在が確定された上で「麻雀の流れ」がAの例における事象と同じものであるかどうかの検証がされていない。

 ここまで不足な点があるにもかかわらず、断言してしまうことは詭弁の域を出ない。断言してしまうことによって、聞き手が自分の都合のいいように解釈し、正しい方向に考えてしまう可能性があるからだ。多少長くなるが、似たような例を引用して紹介する。

(引用開始)
 半信半疑の私に、開口一番、宜保先生様は、
「亡くなった、あなたのお祖母さんの霊が、ついていらっしゃるわよ」
 と、告げた。
(そら、始まった)
 正直なところ、初めはこう思っていたのだ。ところが、である。
「その方が毎日食べていたものを、亡くなってからは、あなたが代わりに食べるようになっているわよ」
 ここまで聞いて思い浮かんだのが、「尼崎のおばちゃん」だ。(中略)毎日蕎麦ばかり食べていたのだが、僕が大学に入った頃に亡くなった。
 もちろん、叔母が死んだ翌朝から急に蕎麦が食べたくなったというのではない。(中略)
「なんて旨いものがあるんだ!」
 と感激した私は、それ以来、毎日のように蕎麦屋通いをするようになったのである。(中略)確かに、叔母が死んだ時期と蕎麦屋に入り浸り始めた時期は近い。宜保女史がなぜそれを言い当てたのか、当時は不思議に感じたものだ。まあ、言い当てたといっても「お祖母さん」と「叔母」の違いもあるし、こちらが口に出した情報に乗っかってきただけと言うこともできる上に、彼女は一言も「蕎麦」とは言っていないのだから、客観的には不思議でも何でもないことかもしれない。それに、「おばあちゃんと自分が好物が似ているものがある」というのは、実は高い確率であり得ることで、そこを利用しようとした発言だったのかもしれない。
(中略)第一、「あなたのお祖母さん」と言っておきながら、「叔母さんになら毎日蕎麦を食べていた人がいます」と私が一言漏らした途端、「あなたのお祖母さん」といっていたニュアンスを、「お婆さんのような叔母さんかしら」の方へ移行させてきたのは、少々「ズル」で「ご都合」な感じがする。
(引用終了 松尾貴史『オカルトでっかち』84p-86p)

 話術としては非常に巧い。意図してないとすれば天才的ですらある。だが、誠実ではない。こういったところを誠実に、論理的に積み重ねない限り、ロジカルを否定することは許されないことなのだと思う。

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